Where Did We Lose Each Other
どこで自分自身を見つけられるの…
ブログを書くことはもう今では4年以上も私の人生の一部よ。私は様々な時期や感情を乗り越えてきて、私の執筆は上達し、変化し、私を成長させてくれたと信じているわ。それを通して私は、今がこの執筆の世界の確立された境を超えるために自分自身をプッシュする時だと思うの。私は生きる事の深さを探究し、見つけたものを表に、あなたに、そして自分の良心に反映させることができるかしら?どうして私はそうしたいの?この疑問は私がどういうふうにそこで見つけるかもしれないいくつかの恐れを生きているかを明らかにしているわ。その疑問に答えようとすると、まず一番に自分や自分の精神の芯に忠実になって、そして次に自分をさらけ出すと、パワフルなことだけが起こりえるの。まだ怖いけれど…。
もっと大きな信念を持っていたら、飛ぶ前に躊躇したりしなかったのに。でも私の信念は小いわ。私が一度追い求め始めると、私の運命が意味のあるものにするために置かれた何か、私が想像したりコントロールきないほど大きな目的があってそこに置かれた何かを見つけると自分に保証するほど小さいの。私を心からオープンにするものはそんな多くないわ。何年も続けてきた自己防衛が私の心を固く守られた要塞にしたの。自分でもそこで何か起こっているかわからなくなるくらい、固く守られた要塞にね!(笑) みんな、誠実な家族の愛をどうもありがとう。たくさんの壁を取り壊すことができたし、たくさんのドアの鍵を開けてくれた。でも私は今、Miss Isabelが本当は誰なのかをもっと解き放つ招待を受けているの。
毎週月曜日に私たちのウェブサイトでオンラインになるWhere Did We Lose Each Otherのビデオシリーズの撮影をしていた頃よ。この曲が私たちバンドや個人にとって主なターニングポイントになったので、私たちは曲や歌詞やフランス語の部分の理由、曲が作られ録音された状況などについてもっと探究することに決めたの。それは私たちにとってもみんなにとってもこの曲を探究する素晴しい方法よ。私にとってああいうインタビューを受けることは容易なことではないわ。それは曲に入り込んでかしを自分のものにし、その全てを生きて、そして自分の生きているものを曝け出すことを要するわ。はじめに数回歌詞を読んだとき、私は歌詞は歌詞が自分に染み込むのが嫌だった…。私にとって歌詞はダークなもので、その中に見た痛みを持つことが嫌だったの。歌詞が照らし出すどんな恥も欲しくなかったわ。私は歌詞の中に、私が心地良いと感じていた現状への襲撃を見たのよ。忘れて拒否しようとしていたものを言葉にするのが嫌だったの。だから私はわずかにこの曲の意味の表面だけをひっかき回したわ…。でも今、それだけでは十分じゃない。私のバンド仲間たちが曲を感じるのに最高のガッツを振り絞っているのに、私は彼らと衝突しない程度に、曝け出してもそんなに醜くない、そんなにリアクションも拒否も生まない、向き合いたくない現実を永遠に確立する、表面上の簡単な真実を話をするなんて。
私は深みのある人間に見えるかもしれない…。美しい言葉を分かち合って…。でも私は深い所まで行く自分を止めてしまう。私は深くなんてないの。本当に自分をさらけ出すってどういう意味を持っているの?私の約束のレベルを上げるほど本当に愛することってどういう意味?私はみんなにとって姉妹でいたいわ。良いときも悪いときも当てに出来る姉妹にね。でも私はまだみんなにとってそんな存在じゃないの。みんなを愛していないからという理由じゃなくて、私がみんなに完全にオープンになれていないから…。なぜかって?それは私が自分の中にあるものを怖れているから。自分自身にすら完全にオープンになれていないわ!でも表面上だけではもう私は満足できなくて、みんなが側にいる人生を逃すなんて嫌なの。
私は人生において、いつだって自分が成長して勝利する状況に置かれていると信じているわ。機会を掴み取って、自分のものに手を伸ばすかどうかは自分次第。だから私はWhere Did We Lose Each Otherのビデオシリーズを、自分の心をオープンにしてその中にあるものを曝け出す機会として受け取るわ。何を見つけてもそれは癒されて形を変えられるか、パワフルに輝いて私たちを近付けてくれると信じるの。そうしたら今、怖いよりもエキサイティングに感じられるわ…。
これから数週間、私はインタビューの課題についての自分の考えや心をより掘り下げていくからね。私と一緒にこの旅をしてくれてどうもありがとう。
-Miss Isabel